差別して差別されて

びっくりするけど、バリ人はイスラム教が嫌いだ。どうしてかというと、以前昔のバリには盗みを働いたりする者はいなかった。
いたとしても、お腹が空いたから食べ物を失敬した、とかその程度のことで、大抵は自責の念に駆られて自首したものだそうだ。

ところが最近の治安の悪さ。
これはどう考えても外からやって来た者(ジャワ島などから)の仕業に違いない。そしてその外からやって来る者は、ヒンドゥー教ではなく、イスラム教なのだ。
だからダメな宗教を理解する気にはなれないらしい。

肌の色が違うから差別する習慣は日本人である私には分かりずらい。
でもバリ人は自分よりもさらに色が黒い人は醜いと思っている。
それは他の国の人にも向けられる。色の黒い黒人は自分たちよりも醜く、劣っていると言い放つ。

「どっちも同じゃねーか!」「目くそ鼻くそを笑うって知ってる?」
私を基準とすればどっちもどっちだよと、バリ人に言ったって、でもキタナイじゃない?と自分の尺度を変えようとはしない。
日本人である私はそんなに寛容なのか?

レストランに家族大勢で入ってくるような、中国系インドネシア人をバリ人はバカにしている。
「あいつらはズーズーしくてケチでどうしようもないよ。」
確かに食事をしている様は御世辞にも礼儀正しいとはいいがたい。
大声でしゃべり、ゴミをちらかし、はしゃぎまわり駆け回る子供を注意しようとは少しも思わないらしい。

そして、中国系インドネシア人はバリ人を蔑んでいる。「貧乏でだらしなくて怠惰なあいつらになにができるんだい?」「本当はこんな田舎にはいたくないのだけど、ジャカルタが危険だからしょうがない」と嘆く。
そんなに文句があるならさっさと出ていってもらいたいもんだと誇り高いバリ人は思っている。

私は差別はいけないものだと、教育を受けた気がする。
差別するものは差別されるのだと。でも、最近になって、ちょっとだけ考えを改めた。部分が全体を説明することだってあるのだ。

これまで友人だった中国人は少なくとも友人でいる期間、みんな嫌なやつではなかった。
しかしその中国人は、徐々に人の神経を逆なで、最後には本当に人の寝室にドロのついた土足で踏み入るようなことをしてくれた。
自分の利益になるものを探し回っては持ち去り、御礼も言わず、私物化してしまう。
そのことは当たり前のことだと思っているのだろう。

バリ人のダーリンを間接的に傷つけるようなことを平気でする。ちょっとでも思い出すと不愉快な気分になってしまうその人のことを、ある意味で憎まずにはいられない自分に気づいた。
この嫌な気分を吐き出すためには、相手を差別をすることが、自分をとても楽な気持ちにしてくれることにも気づいた。

最近はレストランで大騒ぎする中国人に、軽蔑の眼差しを向けることを覚えた私である。


バリ島現地旅行会社
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